足のしびれとふるえ

最近足がだるくて眠れないし、起き上がれないし、風呂に入っても足が張ってしまって非常に悲惨な生活を送っています。

 

心身症がメイン?というかとにかくメンタルの不調が自分で気づく前に体に出るタイプなので、あちこちやられています。

 

 

あまりにもひどくて昨日ググったらむくみが原因?とか出てきたので大して動いてもないのにとりあえずメディキュット履いて寝てみたんですよ。全然改善しなくて。風呂でもんでみたりもしてみたんですけどそもそも張りすぎてもめなくて。

 

とりあえず大学来たんですが、授業中に足がだるすぎて集中できなくて、ググってたら心筋梗塞?とか出てきてさすがにビビって大学の診療所に行きました。

 

授業受けられなくなったり、心身症でなんらかがやられてたりで割と診療所に行くこと多いのでだいぶ覚えてもらっていて(不名誉)、ざっくり説明したら、「あーーこの前も来てた?よね!」といわれ話が一瞬で通じました。心因性じゃないと思ったので診療所に行ったのですが(心因性でやられるのはいつものことなのでそんなことで教室からまあまあ離れた診療所にはいきません)、どうも心因性を疑われているかつ担当の先生が外科だったこともあり、すこしだけ休ませてもらって復帰しました。行くとしたら整形外科といわれたのですが、いかんせん実家が遠いのでまして整形外科なら大学の近くではなく地元の整形外科のほうがいいよなというのも考えにありました。大学まで全力を尽くしても電車で1時間半かかりますからね。車の所要時間とか考えたくもないです。

 

 

心因性でなんらかの支障が出るのはもはやどうでもいいんですが、「今日はメンタル終わってんなー」って自覚がない時にそういう症状が出るとどうしても心配になってしまうんですよね。最近ねてばっかりだったからいろんな機能が弱っていそうだし、ただでさえ体のあちこちがガタ来ているので。

 

一瞬「これなら納得する感じで休めるぞ」っていうのはあります。正直。休んだほうがいいのはわかってるんですが、将来設計とかいろいろ考えるといやあそこまでじゃないかって思ってしまって。

一回メンタル病んで休んだりするとそのあとの就職めちゃくちゃ厳しくなるじゃないですか。やりたいことなければおとなしくスローライフを目指すんですが、高2の時からずっとやりたいことがあって、そのために学部を選んでゼミも選んで授業も選んでって生活なので、なかなかあきらめきれなくて。

 

 

まあそれで無理して大学生活棒に振って、試験勉強全然進んでないんですけどね、アホ?

 

ご飯事情

今日の夕飯はキャベツの卵とじでした。

 

大2になってから、というか万年専業主婦だった母親が働きだしてから、冷蔵庫の中身がどんどんなくなっている。(1年前からまた専業主婦に戻っている)

 

そりゃあ無理もないし、母親は自分の人生を生きてほしいと思っているのでいいの、だが、

今年に入ってからどうも様子がおかしい。弟も大学生になり、子ども2人が夜遅くに帰ってきて、食の細い両親だけでは夕飯はそんなにいらない、というところまではわかる。しかし、朝食の選択肢が玉子とごはんしかない。そもそもろくに朝食を食べるのが私だけなのでまあしょうがないといえばしょうがない。授業が減って、バイトも減らして、その癖寝てたり落ち込んでいるばかりで私が暇そうに見えるのも分かる。

 

運転ができればこんな問題は発生しない、というかそもそも母親に困っていることをきちんと伝えていればそんなことにはならない。だが、どうもどちらもできないまま半年以上過ぎて、弟は家を出てしまった。

免許は持っている。田舎に住んでいるので、地元で生活するうえでは欠かせない。近くのスーパーまでチャリで15分あるのである。遠いわけではないが、車があったほうが便利なのは確実、というか近所に車以外でスーパーに行く人はほぼいない。ただ、このいつどうなるかわからないメンタルで、地雷ばかりの地元を運転するのは非常にストレス、かつ危険である。あと単純に運転のセンスが皆無。曲がるタイミングが下手すぎて「慎重すぎて逆に危ない」だの「なんでここでは行くのかわからない」だのと毎回両親に言われている有様である。月一の病院はなんとか自分で運転していたが、運転席に座らなくなって多分半年以上たっている。免許の資格を保持するために3カ月に一回診断書出してるのに。無念。車の運転、全然現実的ではない。

母親に伝えるのも面倒、というか何回か伝えてはいるのだが一向に変わる気配がない。残念ながら娘の状態は母親にはあまり記憶されないらしい。ご飯の件に限らず、母親はどうも私がこんな鬱状態に陥っていることを理解することを拒否している。全然話の途中で「もう眠いから寝るわ」と都合よく眠くなる、そりゃあそうだ。母親の30代は私たち姉弟の子育てだけで終わっているのだ。納得いくかは置いといて理解はできる。

我が家は完全に性別役割分業の典型のような家なので父親が日用品をスーパーで買うのは母親が寝込んだときだけである。というか夏に母親が寝込んだとき、車に乗れない(乗りたくない)が本当に食べるものがなかったのでスーパー連れて行ってほしいと言ったらだいぶいやそうな顔をされた。残念ながら娘は父親と違って炎天下の中チャリでスーパーにいく趣味はなかった。そもそも変な時間にバイトあったし。

 

 

涼しくなったからチャリで行けのばいいでは?それはそうだ、それができれば問題はない。ただ、大学もぎりっぎりになってやっとベッドから出られる、休日は寝てる以外ほぼ何もできないような限界大学生にそのような余裕などない。こんなぎりぎり生活で寄れるのはコンビニくらいだが、コンビニは駅の反対側なのでだいぶ面倒である。そんなことより帰って横になりたいくらいの疲れ具合で生きているのである。(これが最大の問題点)

 

 

冷蔵庫にはヨーグルト、プリンなどのデザートと調味料類、豆腐、冷凍庫にはいつからあるかわからない食材?的な何かがあるくらいである。個人的にはメンタルを一刻も早く治すために栄養バランスの摂れた食事を摂ろうとは思っているのだが、バリバリインスタントな食生活を送っている。かといって、外食しようと思ってもろくにバイトしていない身で贅沢に食べるのは憚られ、結局学食と某ファミレス、某爆速和食屋で最低限のタイミング食べて終わっている。予算は500円なのでサラダには届かない。家にいるときなど面倒で食べない時もある。

 

うーーーーーん、どこから手を付けるか。

添削の癖

所属しているゼミはとにかくグループワーク、というかむしろこの半年間グループワークしかしていないので、文系限界大学生として生きている身としては時間に追われながら他人の文章を添削する機会が非常に多い。もはや仕事になりそうな域である。

 

そのうえバイトで作文の添削をしているものだから、添削の技量ばっかり上げているといっても過言ではない。いや多分過言である。

 

 

どうしてもゼミの論文も作文添削のノリで読んでしまうので(この場合伝わればぶっちゃけなんでもいい)助詞とか係り受けとかをやたらめったら直してしまう。ずーっと「塾講だからーー」と言い訳してきたがそうでもない予感がしてきた。

 

一応文学少女だったので、昔から本ばっかり読んでいた。小学校の記憶は近所の子にプチいじめを受けていたこと関連の話と読書の記憶しかない。場面を脳内で想像して、登場人物を勝手にしゃべらせながら小説を読んでいたので結構細かく読んでいた(と思う)。それゆえにめちゃめちゃ登場人物の紹介ページとか相関図を読み返していた。いつだったか「あれ?これ誤植では?」と気づいた。確か文庫第3版だったと思うのだが、何かが間違っていた。校正の話が小説に出てきたときに「校正すべきところが光って見える」だか何だかと評されていたが、まさにそんな感じだった。リアルガチで構成の道に進もうと思ったのだが、普通に大学で勉強したいことが見つかったのと、結構抜けているところがあるので辞めた。

 

 

今ではさすがに言われなくなったが、中学生までは自他ともに認める「活字オタク」だったので無理はない。ほかの人の返事が来たのでそろそろ原稿に戻ろう。

脳内マウント

「脳内マウントって誰と戦ってるの?」といわれるがそれは私にもわからない。

得体のしれない誰かにマウントをとりながら今日もイケる!最高!と思っている。

 

女は武装するためにメイクする、だったかそんな言葉を目にしたことがあるがそんなところである。一番近いのは小さい子がライダーベルトにメダルをはめるときだろうか。別になくても戦えるけど、あったほうが気持ち的に強くなれる、実際に強くなる、みたいな。

 

ネイルをする、化粧をする、着飾る、といった行為は自分のためにしかしたことがない。人のためであっても直接的にはならず、「こういう自分であの人に会いたいから」「こういう自分でこの街を歩きたいから」といった理由にしかならない。それゆえに、デートだろうが授業だろうが、気合を入れたいときは全力でおしゃれするし、頑張らなくていい時は適当な、着心地のいい服を着ている。結局「これなら今日イケる!」となれば何でもいいのである。

なんなら駅から自宅までの道のりでも脳内マウントは取ることができる。我が家は田舎にあるので、駅ちかの我が家に帰るときでも駅を離れれば誰とも接触せずに帰宅することが可能である。そのうえ道のりの半分はただの駐車場脇なので真夜中だろうがカラオケし放題である。深夜に疲れ切った体で綺麗な星空を眺めながらふんふん歌っているときが最高だし、嫌なことがあってもカラオケをしてご機嫌になって快眠している。なんならノリノリになってくるくる回りながら歌っていたりする。でかいリュックしょってるのに。カラオケというほど大声で歌えるわけでもないから口ずさむ程度だけど、人家に近づくとやりませんよ。さすがに。知り合いにばれたらいろんな人にびっくりされそう。

 

 

マウントというと全くいい響きには聞こえないが、脳内マウントは推奨したい。誰を傷つけるでもけなすでもなく、謎の優越感を手に入れることができる。そのうえ場所も時間も選ばない。唯一の欠点は不審がられることくらいであろうか。

昨日見た映画(3日前の出来事)

なんかこの記事出てこないなと思ったら前のアカウントで投稿していた。ぎゃああああああ。

 

昨日観た「線は僕を描く」の中で

自分に出来るのかと不安がる主人公に

 

 

 

「変わっていくものなんじゃない?」

 

 

と周囲の登場人物が声をかけるシーンがめちゃめちゃ印象的だった。

多分そんなに回数あった訳では無いと思うけど。

 

 

 

変わっていくもの、か

 

私は変わっていくことが得意じゃない。

変わることはできる、でも変化していくことが出来ない。

オンかオフしかない、公務員には向いてるけど社会生活には向いてない、父親見てればわかる。(父親は尊敬してる、念の為)

 

うーん、

 

小中の先生がヒステリックだったり判断が時と場合、生徒によって全然違う先生が多くて、子供ながらに「こんな大人にはならねぇ、、、!!」って思って生きてきたけど、気づいたら芯もないまま自分の気持ちを押し殺す大人になってしまった、しかも押し殺せてないし。

 

中1の頃、「お前ロボットみてぇだよな、ICチップでも入ってるんじゃねぇの?」とからかってきた同級生の顔も言われた場所も声も結局21になっても忘れられてない。

しんどいなーしんどいなーしんどいなーって思いながら、毎晩泣きながら学校通ってた私より、その後不登校になったその同級生の方がよっぽど素直なんだと思う。

 

結局なんにも変われないまま周りによっかかって何とかここまで来てたんだろうなぁ

 

 

まあいいや、

弟可愛いし、何も言わなくてもしんどい時は無言で溺愛してるぬこちゃん(すみっコぐらしのぬいぐるみ)を貸してくれるし。いまさっきも置いてくれたし。風呂はいろ。

河原で拾われた子幻想

幼いころ、というより高校に入って生活が落ち着くまで

「私は河原で拾われた子どもで本当はママとパパの子じゃないんだ」

と思っていた。一体何を考えているんだ未就学の頃から。

 

今朝、弟が1人暮らしへと家を出ていった。年末に帰ってくるけど。

母が号泣していた。海外に行くわけでもないのに。

 

 

おそらく私は両親の弟優遇に耐えられなかったのだと思う。私が両親から愛されて育っていないとは口が裂けても言えない、言うつもりもない。ただ漠然と「下の子っていいなあ」とずっと思っていた。小さな姉弟を見て「おねえちゃんになってかわいそうだな」と勝手に同情していたりもした。あまりにも勝手すぎる。さすがに全お姉ちゃんに謝罪したほうがいい。思い返せば幼いころは弟の好きなアニメを見て、おもちゃも弟の好みのものなら買ってもらえて、私の受験期には弟がガンガン隣の部屋で電話をしていたのに弟の受験期には静かにしてあげてと言われていた。それが当たり前だと思っていたし、「お姉ちゃんだから」とガキのくせにいらない我慢もしていた。

弟が生まれる直前、母の実家に預けられて祖父母と暮らしながら、帯状疱疹を起こしていたらしい。口では何も言わないのに。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

 

 

そんな生活の中で、いつしか弟と扱いが違うのは生まれが違うからだ、と思い始めたのかもしれない。読書が好きだからといってそういうところに想像力を使うなよ。

 

高校に入って見た目が完全に父親、口調が母親寄りになってきたことで、さすがにこれで血がつながってないは嘘だろ、と両親の子であることに納得した。

 

 

この歳になれば、両親の気持ちも痛いほどわかる。小さい子のほうがかわいいというのは人間の本能だと思うし、まして口数の少ないおとなしくて喘息がかっていた私よりも、おしゃべりで元気で能力の高い弟のほうがかわいいに決まっている。ただ、幼い私はそんなこと知る由もない。

 

 

そんなこと言っても時間は平等に過ぎているわけで、他人の愛情を安易には信じられないまま21になってしまった。再来年の春にはモラトリアムの言い訳を失うのである。ヤバい。非常にヤバイ。元カレは別れ話をしながら「本当はめちゃめちゃ寂しがり屋だよね」といった。私にそんなことを言ってきたのはあなたがはじめてだ。両親でも気づかないというのに。そんな元カレに振られた今、一体この後どうしろというのか。誰も教えてくれないが、自分を本気で愛し、誰かを本気で愛するすべを自分で模索するしかない。それができたら失恋から立ち直ったといえるんじゃないか。(大げさすぎる)

気質

最近HSPとかアダルトチルドレンとかいろいろな気質に名前が付けられて、たくさん情報があふれています。

 

全部を全部気質のせいにするのもよくないのかもしれませんが、とりあえず私は自分がわけわからない行動をしていたことで元カレを苦しませて別れるに至ってしまったので、いったん全部気質のせいにしていきたいと思います。やってられないのでね。それでは。

 

把握している中で私に当てはまる病気・気質は

・不安障害(パニック障害

これは診断書にも書かれています。

うつ病

睡眠障害

診断書には書かれていませんが、出されてる薬を調べるとだいたい出てくるのでそうなのでしょう。自分でもそうだと思います。

 

・HSS型HSP

アダルトチルドレン

離人症

 

HSS型HSPは「人とかかわるのは好き、でも繊細がゆえに気を遣いすぎて疲れる」という理解されにくい気質です。だって矛盾してますもんね。私も我ながらわけわかんねえなと思います。

具体的には、友達と遊ぶのは好きだけど、予定の前に憂鬱な気分になってしまう、遊んだ後疲れ切ってしまうなどが挙げられます。心当たりしかありません。

 

アダルトチルドレンは子どもの頃の自分の気持ちや考えを否定される、親に相手にされないなどといった経験から、大人になっても自分の意見が伝えられない、自分の気持ちを伝えられずいい子としてふるまってしまうなどといった気質です。

私は虐待を受けていたわけでもネグレクトされていたわけでもないのですが、両親から褒められた記憶がほとんどありません。2個下の弟と同じように家庭教育を受けるも、弟のほうが優秀で何でも私より早く覚えられる。かといって弟が褒められていたというわけでもないのですが、「弟ができているしできて当たり前だよね」という期待を感じてしまっていました。過度に「お姉ちゃん」としての意識が強かったことも災いし、大人に嫌われないようにとふるまっていました。小さいころから考えすぎてますよねほんとに。

 

離人症は、自分を客観視してしまい、自分の意思とは反した言動ができてしまうという症状です。パニック障害の症状の一つとして現れることもあります。

中学生の頃、教室のど真ん中の席に座っていながら、一番後ろの天井のあたりからの視界も脳内で見えていたのですが、典型症状らしいですね。「学級委員として」「部長として」正しい選択をという思考しかなかったので、やりたくないことも引き受けまくっていました。いまだにその癖が抜け切れていない節はちょいちょいあります。後述しますが。

 

 

 

元カレが一番混乱したのが「サークルでは笑顔で人の仕事を引き受けて完璧にこなしているくせに、実はキャパオーバーしているしめっちゃ愚痴言う」という部分だそうです。

私としては、その時の状況とかいろいろ加味するとじゃあ私がやるか、やりたい人もいないしと引き受けるのですが、その時一切自分の都合は加味していないんですね。ただ、一瞬で考えを巡らせて「いいよ」と返事してしまうので、気づいたときにはもう引き受けてしまっているわけです。ただそんなこと傍から見たら全く分からないわけで。

カウンセラーさんには「それあなたがやりたいように見えているんじゃない?もったいぶってるけど結局やりたいんじゃんって思われても仕方ないわよ」といわれました。確かに。

このへん人にいい顔してしまうアダルトチルドレンの部分が出ているのと、自分の意思に反した言動をしてしまうのが離人症のあたりなのかなあと思いました。

にしても、愚痴言うのはよくないですよね。元カレごめん。