河原で拾われた子幻想

幼いころ、というより高校に入って生活が落ち着くまで

「私は河原で拾われた子どもで本当はママとパパの子じゃないんだ」

と思っていた。一体何を考えているんだ未就学の頃から。

 

今朝、弟が1人暮らしへと家を出ていった。年末に帰ってくるけど。

母が号泣していた。海外に行くわけでもないのに。

 

 

おそらく私は両親の弟優遇に耐えられなかったのだと思う。私が両親から愛されて育っていないとは口が裂けても言えない、言うつもりもない。ただ漠然と「下の子っていいなあ」とずっと思っていた。小さな姉弟を見て「おねえちゃんになってかわいそうだな」と勝手に同情していたりもした。あまりにも勝手すぎる。さすがに全お姉ちゃんに謝罪したほうがいい。思い返せば幼いころは弟の好きなアニメを見て、おもちゃも弟の好みのものなら買ってもらえて、私の受験期には弟がガンガン隣の部屋で電話をしていたのに弟の受験期には静かにしてあげてと言われていた。それが当たり前だと思っていたし、「お姉ちゃんだから」とガキのくせにいらない我慢もしていた。

弟が生まれる直前、母の実家に預けられて祖父母と暮らしながら、帯状疱疹を起こしていたらしい。口では何も言わないのに。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

 

 

そんな生活の中で、いつしか弟と扱いが違うのは生まれが違うからだ、と思い始めたのかもしれない。読書が好きだからといってそういうところに想像力を使うなよ。

 

高校に入って見た目が完全に父親、口調が母親寄りになってきたことで、さすがにこれで血がつながってないは嘘だろ、と両親の子であることに納得した。

 

 

この歳になれば、両親の気持ちも痛いほどわかる。小さい子のほうがかわいいというのは人間の本能だと思うし、まして口数の少ないおとなしくて喘息がかっていた私よりも、おしゃべりで元気で能力の高い弟のほうがかわいいに決まっている。ただ、幼い私はそんなこと知る由もない。

 

 

そんなこと言っても時間は平等に過ぎているわけで、他人の愛情を安易には信じられないまま21になってしまった。再来年の春にはモラトリアムの言い訳を失うのである。ヤバい。非常にヤバイ。元カレは別れ話をしながら「本当はめちゃめちゃ寂しがり屋だよね」といった。私にそんなことを言ってきたのはあなたがはじめてだ。両親でも気づかないというのに。そんな元カレに振られた今、一体この後どうしろというのか。誰も教えてくれないが、自分を本気で愛し、誰かを本気で愛するすべを自分で模索するしかない。それができたら失恋から立ち直ったといえるんじゃないか。(大げさすぎる)